今年で6年目になるトラカレオープン講座。
「ことばと人間を自然科学する」というテーマで
各分野の研究者の方々の話が聞けます。
話していただいた話をすべてを網羅できないけど
印象に残ったところと、聞いて思い出したことなど
つらつらと書きたいと思います。
3/20(火・祝)午前中は、中村桂子さん(生命科学/JT生命誌研究館 館長)
生きものたちの38億年の挑戦として、地球上のさまざまな
生きものたちは、つながりの中で進化してきたという
話をしてくれました。
人間は、1種類しかなくて、このホモサピエンスとしての人類は
生きものの頂点にいるのではなく
単細胞生物から植物、動物などすべての生きものの
ひとつとして人間が存在しているということを
お話してくれました。
機械は「利便性」と「効率」が重要ですが
生きものは、「継続性」があり、
「過程」がある。
また生きものは「多様」であることに対して
機械は「均一」であることを求められます。
機械が悪いのではなくて
その良さを知って人間が使うことが大事であり
反対に、生きものは思い通りにならないけれど
思いもよらないことをすることが喜びでもあり
嬉しさでもあると言うことばを聞いて、
自分の子育てを思い出した方も多いのではないでしょうか。
ほんとに親の思い通りにはならなかったけど、
思いもかけぬことをして私を驚かせたり、怒らせたり
また喜ばせもしてくれたなーと
同じ会場で聞いている2人の息子たちの顔を
まじまじと見てしまいました。
また生きものは、その種の一番いいところを最大に活かして
生きている・・・たとえばチーターは足が速いことを、
ペンギンは水の中を自在に泳ぐこと。
つまりチーターとペンギンを比べる必要はなくて
それぞれが「生きている」。
そして人間も
生きものたちの中で生きているわけですが
人間が持っているものは
目に見えないことを思い浮かべて想像することと
分かち合う行為だそうです。
人類の祖先はアフリカ大陸のたった2000人から
現在に至ったそうですが、
この分かち合う行為と、想像力を活かして
人類は今に至った・・・。
この見えないことを思い浮かべて
想像する力ということこそ、
人間の「ことばを話す」ということですよね!
まさしく「ことばを話すこと」は、もちろん考える行為を含め
人間の最大の能力ですね。
今、私がこうやって
中村桂子さんの話を思い出しながら書いていることも
その能力のたまものです。
ホモサピエンスが1種類という一方、
蝶はたくさんの種類がいて、
たとえば、アゲハ蝶は
ドラミングという行為で、さまざまな木々の中から
柑橘類の葉っぱをみつけて卵を産みます。
私も小さい頃、庭の山椒の木が
青虫に丸裸にされているのをよく見ました。
アゲハ蝶は足に化学感覚毛というのがあって
いわゆる人間の鼻が匂いを嗅ぎわけるように
足でトントン葉っぱをたたいて
柑橘類から出ているシネフリンという成分を
感知しているのだそうです。
うちの山椒の木でもそんなふうに
蝶が、足踏みしながら
一生懸命卵を産んでいたのかと思うと
母が躍起になって青虫退治していたのを
もっと止めればよかったなーと、
いまさらながらに思うのでした。
中村桂子さんのお話を聞くたびに
そういえば、小さい頃は私も虫が好きだったなーと
思い出されます。
青虫は、その山椒の木にいつもいて
それがやがてさなぎになり、
毎日見張っていたにも関わらず
ある日、さなぎが文字通り、もぬけのからに
なっているのを見つけて、
蝶になる瞬間を見逃したことにがっかりしたことやら
猿の腰掛と呼んでたカマキリの卵も大好きなものの一つで
見つけると、大喜びで持ち帰り
ある日、机の引き出しから、小さいカマキリが
たくさん出てきてしまい、母を怒らせたこと、
雨が上がった翌日は、庭にミミズがたくさん出てくるんだけど
コンクリのタタキに這い上がってきてしまい、死んでしまったミミズは
あっという間に小さな蟻が、どこからともなく出てきて
きれいにしてくれることなど
虫だけでなく、いろんな生きものがいつも身近にいて
生きたり死んだりということが
割りとよく見ることとして、かわいそうという感情とは別に
じーっと見ていたこども時代を思い出します。
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