「音楽ってなんだろう」岩田誠先生の講座レポート
岩田先生は、臨床医として失語症の患者さんを診てこられた先生で、前回の講座では、脳や失語症などのお話をお聞きしました。今回は、脳、人間にとって音楽ってなんだろうと考える講座でした。違う理解の仕方もあったのかもしれませんが、私なりの聞いた講座メモのようなもので、印象に残ったところをアップしたいと思います。
ヒトの進化を脳の大きさから見てみると、現生高等霊長類のチンパンジーやゴリラと次の世代のオーストラロピテクスでは大きさはさほど変らないそうです。でも、二足歩行をしていたオーストラロピテクスは地面から脳までの距離があったため、アフリカの地熱の影響を受けずにいられ、脳が大きくなりうる可能性を獲得できた・・・。そこから進化していったヒト属。ネアンデルタール人では、ことばらしきものを持っていたのではないかと言われています。その後、18万年前には新人が出現し、旧人が絶えていきました。
ところで音楽はいつから始まったのでしょうか。35000年~50000年前のディウジバベ洞窟では獣の脚の骨に穴が開いているものが出てきて、笛ではないかと考える人もいるそうです。ただ旧人の時代、動物の骨を使った笛はあってもそれは狩りに使う手段でしかなかったようです。岩田先生が紹介してくれた動画では、その骨をレプリカとして再現したもので演奏されていて、その音色はシンプルながらも、南米のケーナを思い出させるような音(もう少し高音かな)で、いつまでも聞いていられるような音でした。
新人の時代になり、洞窟画を描くようになったそうです。その壁画を音響学の観点から調べたところ、どうやら壁画の描かれているところは音響効果のよい場所だったとか。ということは、壁画のあったところでは音楽がされていた可能性もあるでしょう。そこには音楽のほかに踊りもあり、歌も同時に発生したことも容易に想像できます。たとえば病人が出た場合、元気になってほしいという祈りだったかもしれないし、災害が起こらないように、たくさんの動物が捕れるようにという祈りだったかもしれない。それが医療の始まりでもあるし、宗教の始まりでもあるのかもしれないとおっしゃる先生のことばに、古代、ヒト属が「人間」になってゆく過程が想像できます。
現代の音楽は環境設定の音楽、たとえば行進曲や子守歌などがあり、また回想の音楽という場合もあります。多くの日本人が「ふるさと」を聞くと昔の楽しかった子ども時代を思い出します。逆にアウシュビッツでは、収容されている人々は音楽隊の演奏を地獄の演奏と感じるわけです。それがたとえシューベルトでも・・・。また同じ曲でも時代によって変わっていく場合もあります。今では童謡として誰もが知っている「むすんでひらいて」も最初はアメリカの讃美歌として入ってきました。その後、日清戦争の時には戦闘歌になります。戦闘歌として聞いて育った人は、戦争のイメージがいつまでも付きまとうでしょう。多分、だれにでも多かれ少なかれ体験はあると思いますが、私も父が危篤の時に駆けつける車の中でたまたまかかっていた音楽を、それ以降聞くと、いつもその日のことが蘇ってきます。そんな思いはたった一度で、普段何度も違うシチュエーションで聞いている曲にもかかわらず・・・です。強烈な印象は、聞く回数も越えて脳にインパクトを残すのでしょうか。
一方、絵画は、描かれているものの意味をことばで理解しようとするそうです。何が描かれているのかわかるということは、自分の脳に蓄えられている知識との照合ができたことを意味するのだそうです。でも音楽は、直接的に感情に働きかけてきます。それが音楽の良い部分でもあるし、体験に結びつくとその音楽を聞いただけでその風景が蘇ってしまうことになるんですね。
音楽の要素、リズムやメロディ、音色などは脳の中で営む場所がそれぞれ違っているそうです。脳のあちこちに分散しているから直接的に情動に作用するのではとも考えられているのです。音楽の要素はほかにもテンポや和声、楽器の多様性などたくさんあり、これらの要素をたくさん組み合わせても、また一つで表現しても音楽は成り立ちます。だからこそ音楽の実践は、様々な形で脳を活性化できるようです。
「音楽は人生のいっときだけやるものではありません。いつも音楽は人間のそばにあります。人間とって音楽ってなんだろう?という問いは一生考え続けたいことです」とおっしゃる先生のことばから、単なる研究からだけでなく、本当に患者さんに向かい合ってこられたからこそ人間にとって音楽ってなんだろうと考えておられるのだな~と感じました。